浮いて沈んで彷徨って

躁鬱病になって11年目なので過去を振り返ってなんとか今をやり過ごそうとしているところ。

誕生日でした

昨日が誕生日でした。

日付変わってすぐに色んな人がお祝いの連絡くれたりして素直に嬉しかったし色々プレゼントもらったりで、またちょっと気持ちが悪い方向に傾きかけてましたがそのおかげでなんとかまだ「普通」よりちょっと下ぐらいを保てていた。

日課になってるシノアリスのコロシアムとかその後も一緒にイベントクエ行ったりして家にいたけどそれなりに楽しく過ごせました。

お祝いしてくれた方、本当にありがとうございます。素直に本当に嬉しかったし何よりその言葉に引き止められたような感覚でした。

 

で、日付変わって今ですが極端に絶不調の波が来ている。

具合悪くなるのではと思って備えてはいたけど、どうしても自分の誕生日は10代の頃の楽しい思い出が多すぎて、思い出して比べてしまうので誕生日は割と具合が悪くなりやすい。

私にとって病状が悪化したきっかけでもあるけどすごく影響を受けて未だに時々思い出して夢に見ることもあることがあって、その頃のことを思い出してしまう。どうしても思い出してしまう。

少なくとも19歳の誕生日の時に自分の人生で今が1番幸せだと本当に心の底から思って、何事もうまくいくと思っていた。

 

思い返せば自覚症状はなかったけど既に躁鬱病の症状が出始めていたのは間違いない頃。それでもその後こんなことになるなんて想像もしてなかったあの瞬間と今の落差をどうしても比べてしまう。

もうすごく昔のことなのに、未だにめちゃくちゃ色んなことよく覚えててどこに行ったとか何を着てたとか靴は何を履いてたとかそんな細かいことまで何から何まで覚えてる。あの時人生で一番幸せだと思ったのはあながち間違いではなかったのかもしれない。確かに今のこの状況と比べれば悩み事も少なかったし何より健康体に近かった。

自覚症状はなかったけど今思い返せば症状は少しずつひどくなっていってたと思うけど、でも体調面にはなんの影響もなかったし人間関係もそこそこ上手くいってて好きなバンドも活動しててライヴによく行ってたし楽しかった。

 

私がはっきりと自分でおかしいなと思う前の最後の楽しい出来事は19歳の時の誕生日からその後10月前半ぐらいまで。寒くなってきた頃からはだんだん自分でもおかしいなと思いながらも「まさか私がそんなことになるはずない」と信じていた。

本当に可能性なんてゼロだと思い込んでいたけど、今から思うともう12月は完全に症状が出ていた。それでもまさか私が、と思って病院に行くのが遅くなったのも長引いてる原因のひとつでもあるんだと思う。

自分の言動や他にもいっぱいおかしい部分が増えていってまともに生活できなくなってきて、それでも自力で、根性でなんとかなるとか思ってとんでもない生活になっていって、年明けに大学を中退した。

なので実質まともに過ごせてた最後の時期が19歳の秋の頃でした。

まさにこの季節。

自分の誕生日と、当時付き合ってた彼氏の誕生日がギリギリまともに過ごせていた頃で楽しかった最後の思い出。私はこの当時の彼氏に取り返しのつかないような申し訳ないことや迷惑もかけまくった。相手の対応も良くなかった。

良くなかったけれど、急に人が変わってしまったような状態の私によく何年も根気強く付き合ってくれたなと思う。

今となってはもう感謝の気持ちしかないし、どうしてるのかも分からないけれど、あの時は本当に迷惑ばかりかけて今もきっと最低な奴だったと思われてるだろうけど、それでも結婚して子供もいるというのは共通の知り合いを通して話に聞いたので安心している。

あの時別れてよかった。自分にとっても相手にとっても。でももし私が躁鬱病になっていなかったら、と「もしも」を何度考えたかはもう分からない。

ここに書くことすら躊躇われるようなことをして、相手な愛想をつかされてやっと別れる、もう二度と会いたくないと言われて、その後結婚するという報告も実際会って聞いて、それでやっと離れられた。

終わったんだなと思ったその時も9月だった。

日にちまではもう覚えてないけどその前後2ヶ月ほどの記憶がないので相当ショックだったんだろうな。

 

今も最後に会った時の自分の服装、相手の服装や口調は全部思い出せる。一時期はその近くの場所になんて行けなかったし今もこれ書いてるうちに手が震えてくるし気分も悪くなるし涙も出てくるし、本当に最悪な思い出なのにあの時に離れられて本当に良かった。

本当は私はずっと好きだと思ってたけど好きなだけでは成り立たないこともよく分かったし身をもって知った。相手も私を選ばなくて嫌いになって良かったと思ってる。

その選択は間違いではなかったし実際それ以外に方法はなかったけど、それでも毎年自分の誕生日になると思い出してはこんな風に過呼吸起こしそうなぐらいに具合が悪くなる。

 

それでも、その当時の彼氏と過ごした19歳の誕生日が未だに眩しいぐらいに取り戻したい普通の人生なんだなぁと毎年思う。

あの頃は私も若かったし今同じようになんて無理で考え方も変わったし年齢も違うから、全く同じようなことを望んでいるわけじゃないけど、もしかしたらあったかもしれない、あの頃の私の延長線上にある「普通に過ごしてきた今の年齢の自分」をぼんやり想像しては、落差を感じてそれに落ち込む。

もしも、の自分なんて可能性がありすぎて想像するのは自由だけど可能性はあるけどそんな人生は「私」ではないから意味なんてないしそもそも比べるもなにも、はじめからそんなものは存在してないのに、それでも考えてしまうしやめられない。

いい加減今年は大丈夫かなと思ったけどダメだった。残念。来年に期待。

 

あと1番具合が悪くなる要素がこの当時の彼氏との出来事なのでトラウマとかそういうレベルなんだろうなというのも自分でもなんとなく分かっている。病院でもこの件については唯一カウンセリングを勧められた。未だにまだカウンセリング受けたことないんですが。まだ勇気が出ないというのが本音。

確かにできることなら綺麗さっぱり忘れたいしなかったことにしたい気持ちもあるし、良いことばっかりだったわけではないので思い出として美化されてるんだと思うけど、それでも苦しくても楽しくて幸せで言葉では表せない複雑な思い出。

いつかただのいい思い出になってくれるのかなぁ。一時期よりはマシで、最近は夢に見ることも減ったし夢を見ても具合が悪くなることもほとんどない。だいぶん時間の経過でいい思い出になりつつあるけど、実際同じ時期はやっぱり、しんどい。

 

そんなことがあってしんどい時期だけど、今からの季節は写真が好きになってからは楽しい時期。紅葉が季節の中でも一番撮ってて楽しい。

紅葉が好きなのは、初めて一眼レフを手にしたのが秋で、そのあとすぐにあったのが紅葉だったからだと思う。いっぱい撮って練習して初めて写真で人に褒められてすごく嬉しかったから、だから紅葉なのかも。今でもその写真は印刷して残してるぐらいに嬉しかった。

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 この写真ではないしこれは今のカメラ使い始めた頃すぐのものなので全然関係ないんですが。

 

そうやって魔のような秋をなんとか乗り越えている。

本当に生き地獄のように具合が悪かった頃の冬場は具合が悪すぎて記憶がないので案外なんともない。記憶がないのはないで助かるなと今は逆に前向きに思うから不思議。合計したら半年分ほどの記憶がないと思ってたけどもしかしたらもうちょっと多いのかも。思い出してもいいことないからどっちでもいいんですが。

 

その当時の彼氏にもらったものはもうほとんど処分してしまった。普段もらったものを捨てることはほとんどないけど、その人との思い出があるものはほとんど処分してできるだけ痕跡を消している。写真も捨てた。プリクラとかも全部捨てた。交友関係もほぼ縁を切ったので共通の知り合いで今も親しくしている人はもういない。時々連絡を取る人はいるけど、遠方に住んでるから会うことはない。

 

唯一残ってるのが、枕元にぶわーっと並んでいるぬいぐるみ。

全部じゃないけど一番最初に枕元に並べるようになったきっかけがそのうちのひとつで、それはずっと大切にしてる。

 

ぬいぐるみを好きになったのは実は病気をしてからで、それまでは可愛いなぁと思っても特別欲しいと思ったりはなくて、大人になってから好きになった。

具合が悪くなって寝て過ごす時間が増えてからは枕元で見守ってくれてるような気がしてどんどん増えていって・・・今はちょっと収まり切らなくなるほどにいっぱいいるんですが、同居人みたいに思ってる。

 

こう書くととんでもないメンヘラ感漂うな笑

 

でも本当に私がしんどい時も比較的元気に過ごしてる時もいつも枕元で見守ってくれてると私は勝手にそう思い込んでて(それが私の中では割と心安らぐからそれでいいと思ってる)その中に当時の彼氏がくれたものがふたつあるけど、その彼氏とは関係なく、ぬいぐるみ達の中でも古株で長い友のような思い入れというか、気持ちというか。

コリラックマなんですが。

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大量にいるけどこれまだ半分しか写ってないので本当は・・・

 

今年も友達がコリラックマのぬいぐるみをくれて、ちょっと大きいサイズだけど抱き枕みたいな形してるので、肌寒くなってきたから本当に抱き枕にして寝ています。今も膝の上に乗せている。

部屋の中だけじゃなくてリビングに行く時にも持っていったらしてるんですが、我が家ではこれが当たり前でして。

母親がぬいぐるみ大好きなので子供の頃からぬいぐるみとはそういうものだと思ってたから旅行とかにも持って行くのが当然だと思ってました。小さいサイズの子供が持ってるようなやつを持ち歩いてるのが普通だと思ってて、でも子供の頃はそんなぬいぐるみに興味なかったから持ち歩くことはなかったんですが!

今その反動のように家の中でもなんか持ち歩いてる。ごはん食べる時に椅子に座らせてたり。さすがに外に持ち出すなら小さいサイズのやつをこそっとです、こそっと。鞄からはみ出さないサイズのやつをこそっと。

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被写体になるしちょうどいい笑

 

私の中でコリラックマのぬいぐるみは、色んな思い出があるけど素直にただ可愛いなぁと思える存在で、今思い出しても体が拒否反応起こすほどの当時の彼氏のことでも、その彼氏からもらったコリラックマのぬいぐるみは全く別問題で、一番のお気に入りなのも全く別の話。

今日はあんまり調子良くなさそうなので寝て過ごすことになってしまいそうだけど、見守っててくれ。

それでまた元気に過ごせるようになったらそれも見ててくれ。

 

コリラックマ眺めてると気持ちが穏やかになる、という話でした。いい大人なのにぬいぐるみから離れられないメンヘラ感凄まじい内容ですが、まぁ実際メンヘラだしな!

今日はだめでも、明日は頑張れるといいなぁ