浮いて沈んで彷徨って

躁鬱病になって11年目なので過去を振り返ってなんとか今をやり過ごそうとしているところ。

遊びに行く罪悪感

これに悩む人も多いんじゃないかなと思っている。

私の場合は躁鬱病で、この2か月ほど症状がひどくて仕事ほとんどできてない状態だけど友達と会うのに出かけたりはできている状態。もちろん出かけるといっても月3回あればいいほうなんですが。そして約束していても出かけれていないこともあるので「遊びには行ける」という言い方は語弊がある。

でも遊びに行くたびに後ろめたかったり、誰に対してでもない罪悪感のようなものとか、情けないなぁという気持ちになるのは私だけではないと思う。許して欲しいなと思うけど誰に対して許してほしいと思うんだろう、といつも不思議。

でもできることなら許してほしい。

具合が悪くて何もできない日が続いてるけど出かけられたらそれは回復に繋がる一歩になる可能性もあるし、楽しいことがあるからやっぱり生きていけると思えたりもする。だから許して欲しい、と今も誰に対してでもなく世間に対して思っている。

f:id:saya490:20170909042415j:plain

諦めていることも多い。

本当は昨日金曜日、私はライヴに行こうと思っていた。でも先月も具合が悪くてせっかくチケットとってたけど2日連続で行けなくて無駄になってしまったから行けるだろうかという不安もあったし、何より他にやらなければならんことが大量にあるので諦めた。

でも行ってたらもしかしたら気持ちに変化があったんじゃないかなともやっぱり考える。私が今一番しんどい時に聞いてる音楽をやっている人のライヴを見たらそれは元気がもらえたり生きていこう頑張ろうと思えるんじゃ、と。

ただ今日も出かける予定があるので2日連続で遊びに行くのは後ろめたくて、ライヴはチケットとってなかったし今日の予定は人と約束をしているから今日を優先した。でも本当はどっちも行きたかった。素直に言う。ライヴ行きたかった。生でぁぃぇ見たかった。生でギブキー聞きたかった。まだ見れてないんだ一回も。今年はぁぃぇ見れてないんだ。寂しい。

 

the god and death starsというバンドの音楽が今の私にはものすごく支えになっている。ブログをはじめた頃に凛として時雨のことをよく書いていたけど、今はthe god~のほうが私にとってはすごく勇気をもらえたり頑張れたりする。

2016年の2月にすごく仲良くしていた友達が急死してしまった時もめちゃくちゃ悲しかったけどゴッドを聞いて前を向いていこうと思えた。死んでしまった友達と、私との距離は「許せる」距離なんだと思えたのもこのバンドのおかげだ。

 

aieのおかげで私は自分の人生の節目や何かつらいこと、しんどいことがあってもaieの音楽のおかげで乗り越えられたことがいくつもある。そんな人の音楽を生で聞きたい、見たいと思って当然だけど見に行くことが後ろめたい。罪悪感がある。

行けなかったらまた悲しくなるから最初からチケット取らずに行かないと決めたり、馬鹿みたいだ。本当はすごく見たいのに。

何がなんでも見たいと思っていたのに8月に泣く泣く諦めて、あの時は本当に悲しかった。本当に見たかった。見たらちょっとは変わるかもと思ってギリギリまで迷いに迷って諦めた時のあの虚しさと悲しさとか寂しさは何回味わっても慣れない。慣れることなんてないんだろうけど、ただただ虚しい。

でもそんなに悲しくて虚しいのに行かないことにどこか安心している部分もある。

「遊びにも行けない」「楽しみなこともできない」ということで自分の気持ちの均等を保っている。罪悪感とか後ろめたさは無くなるから。

 

どっちが正しいのかは私には分からない。やることやってる人が楽しむべきだと思うしやるべきことができていないのなら楽しむ前にまずやるべきことをやるほうがいいと思う。

自分でそう思っているから余計に遊びに行く罪悪感は大きくなる。

今日は友達との約束があるから、というのを理由にして後ろめたさとか罪悪感を「約束」で上塗りしている。こういう時はそこまで罪悪感は、ない。

 

年々この「遊びに行く罪悪感」が大きくなってきている。

具合が悪い時はそんなことを考えることすらなかった。考えれてたら精神科に行く必要もないし投薬も必要なかった。自分のことだけを考えて私がやりたいと思ってるんだからと自分の意見を押し通すことができた。今はもっと冷静になって客観的に自分を見れるから、そんなことはもうできない。

 

我慢ばかりしているとは思っていない。十分自由にしていると思う。

仕事だって色んな人が助けてくれてなんとか今もこんなゆっくりのペースでも良いと言ってくれる人ばかりで本当にありがたい。

だからこそちゃんとしたいと思う。

でもその気持ちがあるから罪悪感が生まれるのももう随分前に気付いている。

 

誰かにダメだとか指摘されたことはない。言葉で直接言われたことは、少なくともこの6年ぐらいの間はない。その昔はあったような気がするけどその時はめちゃくちゃ怒って私の何が分かると散々口論になった記憶もある。

今は口論にすらならずきっと相手の言うことを聞くんだろう。

「遊びにはいけるくせに」と言われたらきっと「ごめんなさい、遊ばずに頑張ります」って言うんだろう。そして自分が日々感じている罪悪感とか後ろめたさはやっぱり当然のものなんだと、そこで安心するんだろうな。

 

否定してほしいのかそれとも否定されたくないのかどっちなのかは自分でも分からない。

でも否定されたらきっと安心する。言われたからしない、と理由にできるから。

今はありがたいことに直接的に特に責めるようなことを言う人に出会っていないから世の中全てに対して申し訳ない、情けない、後ろめたいなと思いながらもでも楽しいことを諦めきれずに遊びに行く回数をできるだけ減らすことを言い訳にしている。

 

aieが見たいなぁ

f:id:saya490:20170909044851j:plain

私にとってthe god and death starsの音楽は無言の肯定で、決して否定しない唯一の存在なんだろう。音楽だから。受け取り方は自由だから、否定されることはない。

その存在だけでも救われた気持ちになる。

 

また見に行ける日を楽しみにしています。aieさんの音楽、応援してるんだ本当に。

その場に行っていない自分が応援してるだなんておこがましいけど、罪悪感とかそういうのが全部なくなって楽しみに行ける日が来るのを今は待っている。ただ待つだけ。諦めてもいつかまた会えると思って頑張る。