浮いて沈んで彷徨って

躁鬱病になって11年目なので過去を振り返ってなんとか今をやり過ごそうとしているところ。

ダメだった

寝る前に明日はきっと大丈夫って記事書いておいて結局今日もダメでした。もう2017年8月31日の自分には諦めた。ちょこっと相談した結果、日曜ぐらいまではできなさそうなこと無理にしようとしなくていいんじゃないの、全部避けてればいいしそのほうが回復も早いかもよ、と言ってもらえて泣くほど嬉しかった。

本当にそれでいいのかどうかは分からないけれど、自分はやっぱり普通(基準が曖昧だけど学生なら学校に行けてる人、社会人なら仕事に行けてる人という認識)ではなくて普通より劣っていることが受け入れられていない、まだ多分足りない。この先何回できない劣っている自分を諦めて受け入れようとすれば終わるんだろうか。

世間一般の「普通」のラインは自分でもなんとなくでしか把握してないけど、その普通のちょっと下、いや3ランクぐらい下でいいからなんとかそれっぽい日常を送りたいだけで、何もしてないように見えて当然だけどめちゃくちゃ必死に頑張ってる。

でも努力は必ずしも報われることはないし無駄に終わることもあるのは年齢的にもよーくわかってる。分かってるつもりだけどもう頑張ることすら無駄なのではと思えてきてしまう。

挫折感と劣等感が感情の半分ぐらいで残りはそれでもまだなんとかなるのではと妙に楽観的に思ってるところもある。けど今日は起きた時具合が良くてできると思ってたからできなかった事実がとてもつらい。できなさそうだと思ってたらここまでダメージ受けてない。

できるかな、できそうだな、頑張りたいな、頑張ればなんとかなるかも、どうにかならないかな、やっぱり無理だったと繰り返してるうちにひとつの季節が終わろうとしている。

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今年の夏はひたすら苦しんだ記憶ばかりになってしまった。

8月は具合悪い日が多くて実質7日ぐらいしか作業できなかったので残りの23日分が予定していたより後ろにずれ込むことになってしまったので、オーダーお受けしてる分に関してはもう少し目処がたってからご連絡させてもらいます。早くて明日以降です。後でお知らせのツイートさせてもらいます

 

・起きた時は調子が良かった

寝るの遅くなったというか朝方に寝たけど寝起きはこの1週間ほどでは一番すっきりしてて調子の悪さも気にならないから大丈夫だなと思って紅茶飲みながらテレビ見つつ朝ごはん食べて、という8月後半だと1番まともな人間らしい行動から始まった。

本当に起きた時点では今日は大丈夫だと思えたから作業する気でいたけど、いざやろうとしたら全く何も手につかない。手につかないどころか急に何も考えれなくなって、何しようとしてたのかも分からなくて呆然とするしかなかった。

大丈夫だと思ったのに。今日こそちゃんと動けると思ったのに。悔しい。

 

いざ作業しようと必要な工具類を出そうとした時に何を使うのかが分からなくて、そこでおかしいなと気付いたけどなんとか考えてある程度は取り出して、大丈夫できるやるぞやってやんぞ!と自分に喝入れながらなんとかしようとしたけど、作りかけ途中のものを見て本当に頭が真っ白になってしまってちょっとパニック状態になってしまった。

今まで当然のようにしてきたことがある日急にできなくなるっていうのは、あんまり経験がない。だいたい少しずつできなくなっていくから今日のダメージは相当大きかった。悔しいし悲しくて涙が出た。

直前まで調子良く今日はできると思ってたのにいざやろうとしたら全くできないし考えることもできなかった。悔しい通り越して虚しい。悲しいというよりは情けなくて虚しい。

病気になってからの私の人生は結果これの繰り返しでしかない。

 

・具合が悪いと娯楽を避けるべきな気分になる

今日みたいにできない、もうダメだとなったら諦めてずっと横になって寝てることが多いけど、そういう時に楽しいことをするのが物凄く後ろめたい。

できることの中にゲームは含まれるのでゲームする時間もたっぷりあるけどゲームってつまり遊びでもあるからそんな風に遊んでるのは良くないんじゃないかと未だによく考える。現に今もそこが引っかかっていてテンプレのように「具合が悪いのだから布団の中で横になってるだけ」の状態。

「働かざる者食うべからず」という感覚に近い。やるべきことができないのなら楽しむこともしないべきだ、みたいな考えになる。もはや自粛という感覚に近いのかも。

実際ゲームする気にもならずただ寝続けてる時もあるけど、毎日24時間ずっと具合悪いのが続くわけではなくて寝たらスッキリしてちょっと余裕ができることもある。今がまさにその状態。

 

できないことが虚しい悔しい悲しい情けないで具合が悪くなってきて一度寝たらちょっと気分はすっきりしていた。でもできないことに変わりはないから「遊び」のようなことをするのは間違えてる気がして仕方がない。

頭では一概にそれが間違ってるわけではないというのも分かってるつもりではある。でも矛盾してるなとも思うし、他人に誤解されても仕方ないんだろうなとも思う。

で、これが「気分転換に散歩する」なら悪く思われないのも、その理由もなんとなく分かる。健康に繋がりそうなのことはできるならやればいいと思う人も多いのもなんとなく予想がつく(そもそもこの時点で他人の目を気にし過ぎている部分も少し問題ではある)

散歩と違ってゲームは元気になるのかどうか分からないし内容によっては悪くなるかもしれない。昼から部屋に引きこもってゲームしてるっていう響きと散歩してるという言葉の響きがこんなにも違うものなんだなぁと今日は痛感した。

自分自身ですらゲームすることに気が引けていることが何よりの証拠。

 

TVゲームもソシャゲも健康に繋がりそうなことではない。その感覚もすごいよくわかる。私も他人に対して似たようなことを思ってた時期があるから余計に。

これがゲームではなく読書なら安静にしてるっぽく聞こえるし見えるけどアニメ見たりゲームしてたらサボってるように見えるのは、それはもう仕方ないんだろうな。現状はひとりで外出できるような状態ではないし、本は読めない。最近読めるようになってきてたけど具合悪いのが続いてるうちにまた読みにくくなってることに気付いた。

 

こういう日はできる範囲の楽しみも自粛することが多い。私自身が後ろめたいからなんだろうけど。

楽しみなことまで我慢して一体なんのためになるんだろう