浮いて沈んで彷徨って

躁鬱病になって11年目なので過去を振り返ってなんとか今をやり過ごそうとしているところ。

悪いばかりではない経験もある

昨日、凛として時雨のことを書いてから懐かしい曲を色々と聞き続けている。

Inspiration is DEADが出た頃(2007年なので10年前)辺りは日々の生活もめちゃくちゃで記憶が抜け落ちてるところもかなり多い。

f:id:saya490:20170830002331j:plain

写真は特に意味はないけど文章だけだと味気ないのでなんとなく。

記憶が抜け落ちる、忘れているのは未だによく分からない。でも一番ぐらいにしんどくて必死になってた頃だなぁというのだけは覚えてる。大学病院の、割と有名な精神科に移って自殺未遂をした後ぐらいかな?

「死にたい」とか「消えたい」とかそういう衝動をひたすら我慢するのが大変だった頃。

 

私の場合、鬱病ではないなと自分で確実に思えるのがこの衝動の多さ。

今は自分でだいぶんコントロールできるようになったり、その衝動的に「何か」をしてしまうことが一番ダメだと気付いてぐっと我慢できるようになってきてるけど、当時は自分が衝動的になってることにも気付けなかったし、まだ躁鬱だと診断もされていなかった。

今思うと本当に衝動的になっては後で後悔しての繰り返しだったなぁ

うまく言葉にできないので「衝動的になる」という言い方をしているけれど、簡単に言えばものすごく攻撃的になってその対象は自分も含めて全てに対して攻撃的なことを繰り返すような状態。なかなか文章で説明するのは難しい。

そしてそういう時の記憶は自分の中ではすっぽ抜けてることも多いので厄介。

 

 

・衝動的な時に起こす行動

自分で意識して衝動をコントロールできるようになったのは4年ほど前。

5年前はまだ自分でコントロールできない時も多かったし、今でもやっぱりある。でも「ぐっと耐える」ということが本当にできるようになったのは3~4年前から。

よく躁鬱病の人は攻撃的な部分があるとかいうけど、私は本当にこれに当てはまる。

とにかく昔は怒った時のその怒り方が半端なかった。

場所とか時間帯とか相手とかそんなこと関係なくて怒りの感情がものすごく強く前面に出るというか。思い返してみれば自分でもドン引きするような怒り方だったなぁ。恥ずかしいし情けない限り。何回も警察沙汰になったり家族が呼ばれたり、そんな家族とも物の投げつけ合いになるほどの喧嘩を数えきれないほどしてきた。

でもこれもひとつの症状らしい。自分では腹立って怒ってるだけでちょっとイライラしてる時とそんなに差はないから自覚するまで時間がかかった。

今はむしろちょっとのことではあまり怒らなくなったし、穏やかだねと言われることもあるぐらいで自分ではそう言ってもらえることは嬉しい。年齢的なものもあるんだろうなとは思う。

心療内科にはじめてかかる以前から、元々の性格的に私は割と好戦的だった。口調も厳しめだったり、喧嘩することもそれなりにあったので、病状が悪化していくうちにそれがどんどんひどくなっていったのかな、と今は思う。

元々の性格が割と気が強くてプライドも高くてどこか人を見下してるような、今思うと嫌な奴だった。あのままの性格で大人にならなくて本当に良かったと今は心からそう思っている。

なので、躁鬱病になって変わったことはいっぱいあるけど何も悪いことばかりではない、というのも本当のところ。私の場合は心が広くなったんじゃないかなと思う。

 

・病気になって良かったこともある

高校生の時の頃は同じクラスのヤンキーっぽい男の子と授業中に口論になったり、妙な正義感が強くて、そしてそれが本当に正しいと思っていた。同性の友達は多かったし慕ってくれる人も多かった。当時は毎週ライヴに行ってたけれどそこでも年齢関係なく仲良くなった人ができたり、交友的でそこはいい部分だったと思う。

ただ根本的にプライドが高くてなにか「できない」人のことを見下していた。

要領よくうまいことなんでもそつなくこなせるタイプだったし勉強もそこそこ、運動はできる、音楽もできるから成績も悪くはない。風紀検査の時だけは校則をきっちり守ってチェックから逃れるような、ずる賢くて嫌な奴だったな。学生の頃は私のことをよく思っていないのが態度からして丸分かりな先生もいたけど、今となってはよく分かる。あの頃の私のような子供なんて相手にしたくないにも程があるほどに嫌な奴だった。

 

それが今となっては喧嘩することもなくなったし、怒ることはあっても「相手にも色んな事情があるだろうし」と一番最初にそう思うようになった。

つまり怒ることが極端に減った。腹が立つことすらないことも多い。

愛想の悪い店員さんにも「きっと忙しくて疲れてるんだろうな」と思ったりして腹が立つこと自体が少ない。電車が遅れていても「まぁ仕方ない」と思うし、友達との約束だって楽しみにしてたことでも相手が用事ができてキャンセルになっても自分が予定をこなすことが難しいから(ひとつ前の記事参照)残念だなとは思うけど、まぁいっか、で終わる。

 

そんな風に変われたことは、私にとっては悪いことではない。むしろいいことだと思う。弱い人、できないことがある人の立場になることがなかったらこんな風に考えが至らなかったのかもしれないと思うと、今こうやって怒ることも減って、全く赤の他人でも「何か事情があるのかもしれない」と相手のことを一番最初に考えれるようになったのは自分にとっては本当にいいことだと思っている。

なので、悪いことばかりではない。

元来の性格からして、病気になっていなければ今も嫌な奴のままだったと思う。病気になって色んな事ができなくなって初めて「できない」立場になった時にどんなことを思うのか知った。いっぱい迷惑をかけて交友関係がいっぱい壊れていって寂しいこともわかった。誤解されて疎遠になることも数えきれないほどあった。だからこんな風に衝動的になってばっかりなのはダメなんだと気が付けた。それでも色んな人が優しくしてくれて、全く知らない赤の他人がたまたま隣を歩いていたからという理由だけで親切にしてくれて助けられたことも何度もある。

この経験は、自分が病気になっていなかったら無かったことだと思うから、だから悪いばかりではない。人の性格なんて簡単に変わるものじゃないから、そのぐらい大きな出来事だったのは違いないけれども。そのぐらい影響力があるような経験があったから等価交換にしてはちょっともっていかれすぎな気がするけど、それでもこの経験だけは間違いなく自分にとってプラスになっている。

そして昔の私よりも今の私のほうが、自分の人間性のような部分は良くなってるんじゃないかな、と思う。

 

・周りは基本的に理解はできない

話がずれたけれど、「衝動的になる」ことについて。

これは専門の医師か本人にしか理解できないんだと思う。いくら身近な友人や家族だろうと素人で、何より違う人間の時点で100パーセント理解できることなんて、無い。

だから今の私は、私のことを理解してくれる人はこの世にいないと思ってるし、今後もそんな人は現れないと思ってる。現れたとしたらそれは奇跡なんじゃないかな、というほどに諦めがつくような経験を何度もしてきた。

学生時代から仲良くしてきた友達とも疎遠になって、病気になる前からの友達は今となってはもう誰ひとりとしていない。みんな離れていってしまった。これだけややこしかったら面倒でもう相手してられねぇ!となるのも仕方ない。

幸い、両親と妹は何度も口論になったりしたけど今となっては一番理解に近い考えを示してくれる存在なので、そこは恵まれているなと思う。家族と疎遠になる人も少なくないと思うから。

だから理解しようとしても、やっぱり無理なものは無理。理解されようとしても無理なんだろうなと思う。同じような境遇の人でもやっぱり分からないことだってあるから。私だって同じ躁鬱病の患者の人の発言全てが理解できるわけではないし。

 

理解できない意味不明な行動を起こしてばかりだった私が、衝動的になることにブレーキがかかるきっかけになった出来事がある。

自殺しようとして家にある薬を片っ端から引っ張り出してきてそれをウイスキーで飲んで(多分2000錠ぐらい)死のうとしたことがあった。私が最後に自殺未遂をした時のこと。

何がきっかけだったのかは未だに思い出せない。そもそもこの直後から退院した後もオーバードーズの後遺症もあって記憶があやふやなので思い出せないけど、何かあったのかもしれないし、ただ衝動的に死にたいと思ったから行動に移したのかもしれない。

覚えているのは、泣きながら死ねますようにと何回も言葉にしながら薬を飲み続けていたことだけ。1000錠じゃ足りないからって救急箱の中身をがさがさ漁ってたことは覚えてるけど、その後のことは覚えてなくて、気が付いたら病院のベッドで寝てて、吐き気がしてベッドの横に大量に墨みたいな真っ黒な水を吐いた時だった。ちなみに黒いのは本当に炭で、胃洗浄をする時に使うとかなんとかだったような。

体中点滴だらけで気分も悪かったけど、生きてるとかそんなことよりも「煙草が吸いたい」とその時駆けつけてきた看護師さんに言ったのは覚えている。そのあとの記憶はあやふや。多分1日入院しただけだったような、2日だったような。もう6年以上前なのと思い出したとしてもそれはそんな重要なことじゃないので気にはしていない。

 

煙草が吸いたいと思った後、死ねなかったと落胆した。体中の色んなところが痛かったのは切り傷だらけだったからだったらしい。

その後両親からどういう状況で自分が病院に運ばれたのか教えてもらった。それが未だに私の「衝動」を抑えてくれている。多分一生このことを思い出すたびに一歩踏み止まれると思う。

 

・死のうとする衝動を抑えられるようになったきっかけ

私が大量に薬を飲んだのは確か昼過ぎだった。時間ははっきり覚えていないけど13時は過ぎていたような気がするけど14時になっていなかったような気もする。

過去にも似たようなことを2回していたけれど、その時は何かしらメッセージのようなものを残していたけどこの時は何も残していなくて、ネット上にも何も書いてなかったし日記にも手帳にも、書置きの遺書もどきのようなものも何もなかった。

16時頃に、当時高校生だった妹が学校から帰ってきたら血まみれで私が倒れていたのを発見して、救急車を呼んでくれたらしい。

その時私は洗面所から廊下に顔を出すように仰向けに倒れて意識が無かったらしく、両親に連絡した後、救急車がくるまでに妹は家中のゴミ箱からどれだけ薬を飲んだのか分かるように探して数えて傷の手当をしようとタオルで私の腕を押さえてくれていた、と母親から聞いた。妹は私を一切責めなかった。ごめん、と謝ったら「ごめんじゃなくてありがとうやろ」と言われた。その時の妹は全く怒っている様子もなかったけど心配しているような様子でもなく、両親よりも冷静で、もっと踏み込んできてくれているような気がした。気を遣うような様子もあまりなかった。

 

自分が高校生の時は楽しかった。毎日何も考えずにただただ楽しかった。なのに妹には姉の面倒を見るようなことをさせてしまったことが、本当に心苦しくて、泣きながら妹に「ありがとう」と言い直したのをまるで昨日のことのようにはっきり覚えている。

 

私が何も苦労することなく楽しんでいた高校生の頃に妹は、私の横暴な態度や家の中の常に私に気遣いをしながらの窮屈な空気の中生活していたのかと気付かされた。その頃は私の症状もひどくて気分の変調も激しいしすぐ怒るしで、姉妹関係もあまり良くなかった。それでも妹は私を責めることはなかった。妹に対して本当に申し訳ないという気持ちと、これ以上ねーちゃんのせいでしんどい思いをしてほしくないと思ってから、それからは一度もオーバードーズも自殺未遂もしていない。

何度も何度も衝動的になって薬を大量に飲んで全部リセットしたくなる時が来る。今年は調子が悪いので、今だと平均したら一週間に一回ぐらいのペースでそんな気分になる。

でも、そのたびに妹のことを思い出して一歩踏み止まれている。

 

母親から聞いただけなので一体どこまでが本当なのかは分からないけれど、嘘をつく必要もないし、妹も自分が見つけたと私に言っていたのできっと本当なんだろう。こんな言い方をすると両親には申し訳ないけれど、あの時見つけたのが妹でなければ私は馬鹿なことをまだ今も繰り返していたかもしれないし、そのうち死んでいたかもしれない。

でも「三度目の正直」という言葉もあるように、3回目も未遂で終わった。そして3回目が一番悲惨だったけれど妹が助けてくれた。だから私は、妹のおかげで今もなんとか踏み止まれている。

4つも年下で、今は社会人として毎日忙しそうにしながらも今日もうたプリのゲームが配信になったとかで、おねーちゃんもやろうよ~と言われたので一緒にちまちまやっていた。仲は悪くないと思う。服の貸し借りをしたり、化粧品も借りたり、それこそ妹も凛として時雨が好きなので新曲を聞いて感想を言い合ったりしている。

文章だけで見ると本当にどこにでもありそうな平凡で仲の良い姉妹、と見えるかもしれないけれどここに来るまで妹は何回私のことを嫌だと思ったかは分からない。それでもこうやって仲良くできているのは幸せなことで、悪いことじゃないなと思う。きっかけは最悪だったけれど、それでも妹がいて良かったと心から思っているから、悪いことじゃない。

 

だから、私は死にたくなっても衝動的にならないようになんとか踏み止まれる。

 

今日も本当にしんどかった。昨日から何度も衝動的になっては無理やり薬を飲んで寝て、目が覚めたことに虚しくなりながらも諦めたように喉が渇いて水を飲んで、生きてしまっている。それでも私は、もうあんなことをしてはいけないんだ、とそのたびに妹のことを思い出していた。

 

だめなねーちゃんでごめんな。

でもいつか、おばあちゃんぐらいの年齢になったとしてもいつか何かお礼させてくれ

まだまだ元気になるのに時間はかかるけど、私を助けてくれたお礼をいつかしたいなと思う。だから、お礼ができるように生きないとな。死んだらそれこそ何もできずに終わってしまうから。

f:id:saya490:20170830015717j:plain

両親にも感謝してるけど、今の私の衝動を止めてくれるのは妹なのだ。ありがとう。

 

なんか書いているうちにまとまりのない文章になってしまったけど、長くなるし今日はここまで。もし読んでくれた人がいたら、ありがとうございます。

ちなみにこの写真は去年の6月に京都に行ったときの妹。