浮いて沈んで彷徨って

躁鬱病になって11年目なので過去を振り返ってなんとか今をやり過ごそうとしているところ。

もうすぐ三回忌

昨日の夜、久々にものすごい泣いた。泣いて言葉にしたらちょっとすっきりしたけど、ほんのちょっとすっきりしただけでこの寂しさとか距離は埋まらないんだなぁと改めて実感した。

 

真冬になる前に一度書いたけど、2年前に亡くなった友人のことを最近色々と思い出す。

来月で三回忌。

なので実際会えなくなってから丸々2年が経とうとしている。最後に会った時はまさかこんなことになるとは思ってもいなかった。もっと色んな話をしておけばよかったとか、時間が経てば経つほどに後悔は増えていく。

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長い間会ってないなとか長い間連絡とってないなと思うことはよくあった。それこそ亡くなってすぐの頃はすぐにめそめそしてたし寂しくて返事は来ないどころか既読にもならないのにLINEを送ってひとりごとを毎日のように言っていた。

実際は友人のお母様が携帯を持っていて、解約はしているけれどWiFiが入るから何度か送った後にお母様からお返事が来たので、あの時は本当にびっくりしたなぁ。既読になってるうううう?!?!と慌てたけどその後も送るのはやめていない。

多分、今となってはほとんど携帯に連絡は来ないんだと思う。お母様は連絡がくるのは嬉しいというのを聞いていたので、私は遠慮することなく何かあったら今まで通り一方的に送っている。

最近こんなことがあったよ、とか共通の友達のことや自分がしんどい時にうだうだと長い文章を送りつけたりと色々。

 

でも、もう亡くなってしまった友人は見ることはない。頭では分かっていたけど本当の意味でちゃんと理解してなかったのかなと年末ぐらいから思うことが何度もあって、昨日ついに我慢できなくなったというか誰にも言ってなかったけど寂しいと素直に言葉にしたら、本当に寂しくて悲しくて散々泣いた。

泣いても何も変わらないのは分かってる。そうやって泣いたりしながら私は自分の時間を進んでいくのも分かってる。でもこれ以上もう遠くに行きたくないなと今は本当に思う。

私は生きているから日々歳を取る。今日が昨日になって昨日は一昨日になってしまう。そうやって時間が経っていっていつのまにか2年近くになっていた。

私と友人の距離は2年分の時間、離れてしまった。

 

長い間会っていない、長い間連絡を取っていない人もたくさんいるけど私は週に1回ぐらいのペースでよく会ってて家も近所だったから、多分私にとっても友人にとっても一番よく会う友達だったと思う。少なくとも私はそうだった。

夜中に写真撮りたいと言えば車で連れていってくれた。真冬の海でわけのわからん写真を撮ったりした。昼間にファミレスでだらだらと話をすることもよくあった。2年前は今より体調も安定していたけど、それでも具合悪い時もあって、そんな時に家にずっといるのもなぁと思って呼びつけて適当に車で連れ出してくれた。

 

それが2年前から完全になくなってしまった。

私が真夜中に出歩かなくなったり、1週間外出することもない日が増えたのは、この友人がいなくなってしまったから。

でもそれは単純に、しばらく会ってない人と同じだなとか、連絡先がわからなくなったら音信不通になるから今どうしてるのか分からない過去に仲良くしていた人達と同じような感覚だと思ってきた。

確かに間違えてはない。実際もう10年ぐらい会ってない友達もいるし普段ほとんど連絡を取らないけど、それでも会えば話は弾むだろうし当時と変わらず仲良くするんだろうなと簡単にそれも想像できる。

そういう友達と同じようなもんだな、と思ってきた。でも違った。全然違う。

 

長い間会ってない、連絡を取っていない人は生きている。今は住んでるところが遠いとか他にも連絡先が分からないけど人伝に聞こうと思えば聞けるしその気になれば連絡つく人もたくさんいる。

でもそれはあくまでも生きているからで、死んでしまったら二度と会えないし話もできない。死んでしまった人の時間はその日から止まって動かない。私は動いている。今こうしてる間も私の時間は進んでいる。

遠くに住んでて長らく連絡をとっていない友人も、生きてるなら時間は同じように進んでいる。生きてるのなら。そしてもしかしたら新しい思い出がまた増えるかもしれない。

 

死んでしまった人との新たな思い出は、増えない。

私が思い出さない限りもうこの現実世界には存在していない。思い出しても存在していない。

あの日葬儀の日に笑顔で見送ったつもりだった。もっと落ち込むかと思ったけど最後ぐらいシャキッとしようと思って化粧もばっちりして髪も巻いて、喪服にはあまり似つかわしくないけどできる限り着飾って見送った。

いつも会う時は家の近所のファミレスだったからすっぴんのことも多かったし、最後に会った時に長らく普通の化粧してる姿見てないって言われたから、だから次会う時は化粧していくって思ってたから一応TPOは弁えている範囲でしっかり化粧してほらな!私だってその気になれば近場でも化粧するし!と思いながら見送った。

 

見送った後、友人は火葬されて骨だけになったんだった。そしてその遺骨もしばらくは友人の部屋の仏壇の側に置かれていたけど、今は納骨されて「お墓」ができている。

その話を聞いた時は結構ショックだった。未だにまだお墓参りはできていない。実際それを見たら本当に死んじゃったんだなと実感するのかと考えたらとてもじゃないけど嫌だった。

 

だから、私は友人が死んでしまったことを本当の意味でまだ受け入れられていなかったんだな、と昨日ようやくはっきりと気付いた。

代わりに私が死ねたらよかったのにと何回も思った。死に損ないの私が変わりたかった。今でも変われるのならと思う。特に半年ぐらい前に調子を崩してからはよくそんな風に考えることも多かった。

でも、私は生きている。友人は死んでしまった。変われるはずもないし、あり得ない。

 

土日に出かけている時に、友人のお母様から引っ越すことになったという連絡がきた。

いよいよ友人の部屋もなくなってしまうと思うと、内心穏やかではなかったし今もこうやって文章にすると考えただけでまた泣きそうになっている。

最後にあの部屋にまた遊びに行きたいけど、見納めになってしまうのが、寂しい。悲しい。寂しい。

そこまで考えて、やっと今更「死んでしまった」という事実と向き合うことになった。全然向き合えてないけど。

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時間が解決してくれるんだろうけど、それでももうVitaでゲームはできる気がしない。むしろゲーム自体をやる気になれない。FF15やりながらこれやって欲しいなぁって考えてた。ニーアオートマタはきっとやらないんだろうなぁとDODの話をし出す姿が浮かんだ。

一緒にゲームしてたことが多いから、Vitaのセーブデータはそのままで残しておきたい。だから起動もせずにもう1年以上経った。

モンハン新作出るからやろうかなと思ってたけど、もし生きてたら一緒にやってたんだろうなと思うとやっぱり寂しくて、できそうにない。

 ゲームをするたびにもう一緒にゲームできないんだなと思ってきた。モンハン新作が出る頃はもう三回忌も終わってると思えば思うほど悲しい。寂しい。会って話がしたい。

 

距離が遠すぎる。どんどん離れていく。

自分で離れたくて離れてるわけじゃない。でもふとした瞬間に思い出すことも多くて、私の生活にはいて当たり前の存在だったんだなと今更改めてはっきり思う。

昨日からそのこと考えてやっぱりどうしても気持ちが落ち込むから頓服飲んでなんとかやり過ごしてるけど、こればかりは解決策は何もない。やってみないと分からないけど私はちゃんと友人の死に向き合わなければならない。

ちゃんとお墓まいりをして、もういない人なんだとちゃんと認識して、そこからどうやって前に進むか考えないとダメなんだろうな。

私にとってこの2年間は、その友人が死んでしまったことから目を背けてきて成り立っていた。その割合はなかなかに大きい。

 

本当に、家近所で仲良くしてたんだ。私にとっては一番身近な友達だった。もちろんイラッとすることもあったし喧嘩みたいになりそうなことも多々あったけどそれでも家族以外なら一番よく会ってて1番よく話してた相手だった。

だから私は今、近くに住んでてふらっと遊びに行ける友達は誰もいない。いないけどそれは仕方がないことだとか何かと理由をつけてたけど、そうじゃない。ちゃんと向き合わないとダメなんだろうなと特に根拠があるわけじゃないけどそう思う。

自分の具合の悪さをその友達のせいにはしたくないし理由にもしたくないからこれは私の問題で、今後も私が生きていく上で必ずこんな場面に出くわすだろうし、遅かれ早かれ向き合わなければならないんだろうなぁ。

 

三回忌の前に、お墓まいりをしよう。まずはそこから。

そして三回忌の後に引越してしまうみたいなので、友人の部屋がまだ残っているうちに最後に遊びに行こう。そこでちゃんと区切りつけないと、前に進んでるつもりがそれは見ない振りをしていただけだった今までと何も変わらない。

仲良くしてた友達だからこそ、ちゃんと受け入れたいししっかりしたい。私は私なりにそこそこ頑張ってるよと言いたい。

 

死んでしまった人との距離は私が生きている限りどんどん遠くなる。これからもその繰り返しで、人はいつか死ぬからこの友人に限ったことではないし、他の友達が死んでしまうことも出てくるんだろう。なんか、私は長生きしてしまいそうな気がするし。漠然と根拠はないけど今はそう思うから、余計にちゃんと区切りつけないとな

 

寂しいし悲しいけど、でも今の私がまず一番先にやるべきことはきっとちゃんと向き合うことなんだろう。

連絡がつかなくて気軽に会えないような遠くに住んでる友達とも違うことをちゃんと理解して受け入れないとなぁ。

 

ひとりでお墓まいりなんて出来る気がしないから、誰かについてきてもらってそこで散々泣けばいいのかも。そのほうがもうちょっとスッキリするかも。わかんないけど。具合悪くなるかもしれないし。

 

それでも、やらないと。

後ろ向いて思い出ばかりを懐かしみながら見てるのも悪くはないんだろうけど。

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あの日の君はもうどこにもいない、んだろうな。

さっきまた頓服飲んだからまた寝れそう。思い出してまた今メソメソしてるけど、いつか思い出してもメソメソしなくなる日が来るのかなぁ

豪雪地帯に来ています

急遽一泊することになったんですが、京都の奥地に来ています

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昨日の夕方に着いたけど辿り着くまでに本当に行きめちゃくちゃ降ってきて大丈夫か?!となりながらもいつもお世話になってるカメラマンさんの運転で来れました。

こんなすごい雪見たことなかった!!!本当に!!!

 

今回、写真は撮ってもらう側で来てるのでカメラ持ってきてるけどそこまで使ってません。

早くに目が覚めちゃったから風景撮りに行こうかなぁと考えてる

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昨日の夜。愛用してるHipstamatic(iPhoneのカメラアプリ)でストロボ発光させてコレ。iPhoneでコレ。

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こっちはiPhoneのカメラで普通に撮ったやつ。

 

も の す ご い 雪 だ!

 

生まれてずっと阪神間に住んでるので雪が降っても積もることはまあ滅多になくて、子供の頃に何回かあったけど高校生ぐらいからは積もったりしてる覚えが無いので多分本当に雪があんまり降らない。

なので雪への憧れがすんごいあって、2年前、去年、今年と雪の中でコスプレするのに撮影に来てます。

もうひとり誰かいてくれたら私ももっと色々撮りたかったんだけどなぁぁぁあ

急だったので今回は誰も捕まらずでした。だからやっぱ散歩しに行かねばならぬ使命感!

これ書いたら起きて一服しにいって、日焼け防止に下地だけ塗ってカメラ持って外ウロウロしてきます。

一応昨日の夜にも撮ったけど、あまりにも雪が積もり過ぎててあんまり動かなかったので今日は頑張ってなんとか動き回りたい。

 

ということで昨日の私。雪で浮かれまくってる私。

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グラブルのリリィをどうしてもあと1回、外でやりたかったのだー

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さすがに今回で着納め。武器の持ち手部分とかがだいぶん摩擦で傷んでしまってるけど頭の飾りは割と綺麗なままでした。

 

さて起きます。今日もいっぱい撮ってもらうし撮ってくる!

お出かけしたいのになぁ

昨日写真撮りに出かけたいと思ってて、ひとりでふらっと行こうと思ってたけど起きた時からやっぱり無理だーとなって昨日1日寝て過ごした。

で、今日はできればという用事があって、昨日の夜は久々にマニキュア塗ってネイルして気分良いまま寝たのに今日も起きた瞬間から、あーだめだっていう感覚がひどくて結局午前中の用事はキャンセルした。

できればでいいよ、と言われてたけど私自身は行きたかったしできると昨日の夜は思ってたのになぁ。2日連続でできないが続くとやっぱり気持ちがちょっと傾いてしまう。今の私は予定を入れたりするのはやっぱりよくないんだなと思った。

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久々にネイルしたけどけっこー可愛いグラデにできたのになぁ。今日出かけるついでにマニキュア買おうと思ってたのに。

 

本当なら今日出かけて前々から気になってたプチプラコスメを色々買おうと思ってた。マニキュアとか他にも基礎化粧品でちょっと気になってるのあったからそういうのを。

仕事は相変わらずできるような状態ではないので普段仕事してるとできないネイルしようと年末から思ってたけど、薬の処方が変わって手の震えがなかなか治らなかったからネイルできなかったけど、やっと気にならなくなったから久々にマニキュア塗った。

たぶん10月に友達の結婚式行った時ぶり。

ネイルするとやっぱり嬉しくて、オシャレして出かけたいなってなるしそれで調子持ち直すことも割とよくあるけど今回はダメだった。

さすがに2日連続で出かけたいと思ってたのに出かけれないとなると落ち込む。今も二度寝しようと布団に入って、なんかもう自分で自分が嫌になるというか、なんでできないんだろうと自問自答してる。よくない傾向。なのでこれを書いてる。

 

ここのブログを始めてから、素直にその時の状態を書いて何を思ってるかとか書いたらちょっとは気持ちの落ち込みが減速するから助かる。

それでもダメな時はダメなんだけど。

成人の日かーと昔のこと思い出したりしてしまうから余計にダメなのかもしれない。それにお天気も悪いし、今日はそのせいにしておこう。

 

仕事もしたいんだけどな。でも焦らず。

写真が撮りたくなる映画を見た

1/2の前の記事書いた後、どうもしんどいなぁと熱測ったら38.4度ぐらい高熱出てて何事?!と思いましたがインフルエンザでもなく、特に風邪らしい症状もなく、今日の夕方には熱下がりました。

でも2日は熱出してたので割と心穏やかに過ごしてました。やっぱり熱出してたりすると休んでていいと思えるから気持ちの面では穏やかに過ごせる。

で、特にすることもなかったし映画を見て過ごしてました。

 

まずテレビ放映あったので君の名はを見た。

全然興味無かったし正直テレビ放送をお正月にやってなかったら見てなかったと思うぐらいには無関心だったけど、普通にすごいおもしろかった。

https://www.instagram.com/p/BYiHyfQA6z-/

写真撮りたくなる映画だなーと。

光の描写が綺麗でフレアとか水面がキラキラしてる感じとか、あーこれ写真になったらこういう風に写るよね、と思う雰囲気でそこも良かったけど話自体もおもしろかった。

というか、思ってた内容と全然違った。

もっと恋愛!っていう感じなのかと思ったけど全然違ったわ、割とSF要素強くて現実味なくてほんと普通におもしろかった。本当、テレビ放送してなかったら見てなかったと思うからタイミングよく見れて良かった。

 

そんで今日は公開当時妹が大絶賛してたダンケルクを見た。

これは母親がDVD借りてたので、父親以外の母、妹と3人で。

妹はクリストファー・ノーラン作品大好きで割と信者みたいなところあるので、インターステラーも見たけどよくワカランと思った覚えしかなくてダンケルクもそういう世界観満載なのかなと思ってたけど、全然違った。

すごい良かった。

まぁ、地味ではあるし一般ウケしにくいのも分かる。台詞も少ないし結構淡々と進んでいくし、第二次世界大戦の頃の話だけど戦闘シーンそんな派手じゃないし、戦争映画じゃないけどノンフィクションなわけでもないし、なんていうのかな、本当に淡々と進んでいく。

主人公の視点ではなくて「第三者がその時を映像で撮ってた」っていう感じかなぁ。だからカメラワークも歩いてる時はちょっと揺れたり、戦闘機乗ってるシーンはぐるぐる回るけどそれがリアル感あってとても良かった。

あとIMAXで見るの大前提で作られてることもあって音の作り方がものすごい細かいしそこだけは本当に大絶賛できる。こういう表現方法もあるんだー!と思うとやっぱり映像作品は見ると本当に刺激になるなぁ。

https://www.instagram.com/p/BYlxdYmgkNA/

映画全体が割とこういうくすんだ色味で、海と空の青色は鮮やかだったのがすごく印象的だった。これも見てて写真撮りたくなる映画だなーと思った。そして今実際めっちゃ撮りたいなーと思ってて、熱も下がったし明日起きた時に調子良ければカメラ持って出かけようかなと思ってたり。

 

ダンケルクっていう言葉、聞いたことなかったけど地名でドイツとイギリス、フランス、ベルギーの連合軍の戦いだったんだーとそれも初めて知った。ノルマンディは有名だけど日本ではあんまり知名度ないのかな?

 

ダンケルクの戦い - Wikipedia

 

ちなみに、音がいいと書いたけど映画で使われてる音楽がいいっていう意味ではなくて効果音みたいな、映像音楽?映像音響?なんていうんだろう、効果音っていうわけではないし映像に合わせた音を乗せてるけどそれがめちゃくちゃ良かった。

 

つい先日、ツイッターのRTでまわってきた記事でこのブログ(すぐ下にリンク貼ってます)を読んで、あぁ確かに映像と音楽って合わせ方によってはものすごい印象的になったりするけどうるさいなと感じることもあるなぁと思っていたところだったので、ダンケルク見た時もこの記事のことがずーっと気になってて今やっと検索しまくって探し出せました

 

映像音楽を作るときの注意点・ミッキーマウシングについて – Merry bad ending

 

この記事で私が大好きなダークナイトの序盤のシーンが登場してたので、ああああめっちゃわかる!!!あれな!!!あのシーンでジョーカーに釘付けされるよな!とすごく納得しまして。(あのシーンは意図的にそういう方向にもっていくように作られてたんだなということが分かって余計にテンション上がったというのもあるんですが)

それから今まで見た映画で印象に残ってるシーンを色々考えてみたら、音楽というか音の使い方?が重要なんだなーと思ってたので、今日ダンケルク見てる時もそのことずっと考えてたんですが、ダンケルクも映像と音楽の融合、めちゃくちゃ素敵でした。

 

人それぞれ感じ方が違うので台詞少なすぎ、静かすぎって思う人もいるだろうし、効果的にここぞという時はどっかーん!と大きな音使ってるけど台詞が本当に少なくて静かなシーン多いし話も淡々と進むから退屈に思う人もいると思うけど、そこがもう作風と完全に一致している。銃声とかもそこまで大きくなくて、だからこそ一発の銃声の重さとか、他にも海で船が沈没して爆発するシーンがあるんですけど、そこの間の使い方とか。

ジャンル分けするなら何になるのか分からないけど、映像と音の演出にすごい重点を置いてるっていう作品なんだと私は思った。

普段から音楽好きで、写真も好きなのでこういう映像や写真と音楽の融合ってめちゃくちゃ憧れがあるので私は特にそう感じたんだろうなぁ。

 

私が一番印象に残ってるのは船内に水が入ってきて溺れそうになる、溺れるシーンが割と何回もあるんですけど、その時の画がものすごい臨場感あって水の表現が本当に素晴らしかった。

水がどんどん増えてきて、最初は画面下のほうだけなのに徐々にカメラが水の中に沈んでいって画面の半分以上が水の中になったり、その時の水飛沫とか透明感あって綺麗だった。この場合は怖いっていうほうが正しいんだろうけど、全体通して基本的に水の描写は綺麗なものが多かったのでそれが印象的。

重油が流れ出した時はめちゃ汚いのと、死体が浮かんでたりするけど海の水は綺麗だったりでそこらへんの差を表現してるのかなぁとか色々考えて見てました。

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そんなわけで、ダンケルク、すごい良かったです。もう一回見たい。

でも妹に「おねーちゃんIMAX絶対しんどくなって無理やと思う」と言われたし、自分でもきっと無理なんだろうなぁとは思う・・・

 

水の描写は個人的にものすごい好きです。

海の水だけじゃなくて、雨でも水道水でもお風呂のお湯でもシャワーでもなんでも。

なので今年は水をテーマに色々撮りたいなぁと思ってるんですが、被写体誰かしてくれないかなぁ。

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とりあえず、近いうちに最近お気に入りのsukekiyo聞きながら写真撮りに行きたい。そのぐらい気持ちは安定してます。体調ももう今は大丈夫。

今週本当は写真撮る機会あるかなー?と思ってたけど残念ながら無くなってしまったので明日(というか今日)か明後日に撮りに行きたいなぁ

 

お題「年末年始に見たもの・読んだもの」

 

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今日はめずらしくあんまり自分の体調のこと書いてないですが笑

 

明けましておめでとうございます

んー2018年

病気してからは毎年この年越しの31日、1日がめちゃくちゃ嫌いです。嫌い。嫌とか憂鬱とかじゃなくて単純に嫌い。

病気する前から日付変わるだけだよなとか思ってたけど今思えばそれだけ意識してたんだなぁと。

実際今年も31日、1日、そして今日午前中とモヤモヤしたまま過ごしてしまった

 

お正月関係ないけど年始の楽しみがコレ

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でぃるあんぐれいのベスト。

ブルーレイ付のほうにしたけどまだ見てないので今夜にでも見ようかなと。何が入ってるのか知らないけど笑

昨日一通り聞いて、アレンジ変わってるものから当時リアルタイムで聞いてた頃思い出して懐かしくなったりでした。ゆらめきとかCageとか懐かしいなぁ。あれは中学生の頃かな

 

年末年始に具合悪くなるのは久しぶりな気がする。4年前ぐらいか年明けはすぐに出かけたりしてて具合悪くなる暇もなかったし、去年も割とバタバタしてたし。

29日にひっさびさに電車乗って出かけれて、久々に友達にも会えてすごい楽しかったし嬉しかったけど、その後疲れがなかなかとれなくてやっと今日もう疲れはないかなぁってぐらいにまで体力面は回復した。

親戚の家に行くのにどうしてもやっぱり行きにくいし行きたくないし、行ったら何してるとか嘘並べて適当に話すことになるからそれも億劫で。祖母含めて親戚には適当にごまかしてる部分がたくさんあるのでかれこれもう10年以上嘘ついて過ごしている。

嘘ついてることはそんなに罪悪感ないし、80代のおじいちゃんおばあちゃんには精神疾患の概念はないだろうしその場がうまく収まればそれでいいからそうやって偽ってるけど、具合悪かったからかなぁ。いつもの年より会うのが億劫で嫌で仕方なくて、でも自分の中でそうやって逃げ回ってばかりでいいのだろうかとはっきり答えも出なくて、それが一番しんどい。

上部だけその場だけ元気な顔しとけばいいのに今年はそれができる気がしなかった。なので行ってないけどなんとなく家族から非難されてるような気もして・・・はぁ、考えると余計に落ち込む。だめだー

せっかく29日出かけれてよかったよーってなってたのにまた気持ちはマイナス方面に向かってる

 

29日、待ち合わせ場所に行くのに迷った時に撮ったやつ。

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病院でも年明けのおめでたい雰囲気がしんどいかもねと言われてたけどまさにあるその通り。

私からすればちょっと持ち直してきたかなって時に世間の雰囲気がしんどい。テレビから聞こえてくる話や単語も自分の境遇と違いすぎてしんどい。

 

そんなわけで、新年早々もう嫌だとなってしまっています。

果たして今年はどんな1年になるのだろうか

お母さんの話

昨日父親のことを書いたけど、そういえば文章にしてこうして誰かが見れる形で家族のことを書くことって今まであんまりなかったなと気付いた。

笑い話みたいに書くことはあっても真面目にどう思ってるとかそういうことはあんまり言う機会もないし。

 

でも、機会がないからって言わないときっと本人に言う前に本人はいなくなってしまう。すぐに両親や妹が死ぬとは思わないけど死なないとは限らない。明日生きてるかどうかも分からないし、私が生きてるかも分からないし。

 

なのでせめて今はここに書き残しておきたい。

別に悲観的になってもう死にたいとか思ってるわけじゃないです。でも昨日のこと引きずってて今日もそんなに元気でもない。普通よりちょっと下ぐらい。でも躁鬱病としては「普通よりちょっと下」ぐらいがちょうどいいんだろう

 

父親については昨日書いた記事を参照。

でもそこまで深く触れてないのでまたそのうちちゃんと書きたいな

saya490.hatenablog.jp

 

今日は母親のことを。

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お母さんの後姿。

冬場になるともふもふしてる素材が好きですぐにそういうの持ってたり身に着けてる。

私からするともう、尊敬とか敬意とかそのぐらいのレベルですごく頑張ってるし、頑張れる人。無理してないかなぁと心配にもなるけど「自分は頑張ってる」という事実で強くなれるタイプなのかな、と。本当はどうかわかんないけど。

なので私が母親のことで一番に浮かぶ印象は、努力家

 

見た目が若い。私が娘っていうと驚かれるぐらい見た目が若い。

新しい物が好き、結構ミーハー。iPadAndroidを駆使してツイッターもインスタグラムもブログもやってる。どこから仕入れてくるのかと思うような情報も知ってるから情弱という言葉とは今のところ無縁。

ちなみに父親はスマホでもLINEすら入れてないほどに色々と疎い

 

一番イラっとすることも多いし腹立つことも多い、そして母親の言動で自分が具合が悪くなることもある。つまり、私が一番影響を受けやすい人ということ。

喧嘩することもあるけど母親とも仲は良い。妹も同じように母親と仲は良い。

でも昔から妹より私のほうが母親のことを慕ってるかな、と思う。

 

祖母の介護をしながら、娘(私)は闘病中で今年は特に具合が悪くて散々心配かけて迷惑もかけているけど、それでも今日も仕事行ってて、昨日と一昨日は大好きな東方神起のライヴに行っていた。母の原動力は東方神起なので、この2日間すごく楽しかったみたいで良かったなぁと思ってる。

ちなみに来月は私にもやっとチケットがまわってきたので一緒に行く。笑

 

なんだかんだで私が一番頼りにしているのが、母。

昨日は父親と話をしたけど、普段そういう話は母親にする。両親にすることがあっても主に母親に話して、受け答えも母がする。父はそういう時は聞いてるだけ(悪い意味ではなく)

 

母親は本当に大変だと思う。

日々祖母の介護の時間は増えていくし、それでいて家事も自分でこなして、私の面倒も色々と見てくれている。地球上で私のことを一番気にかけてるのも多分、母親。

それでも明るい。前向き。くじけない。強い。本当に強い。

そして強くなれるように日々努力している

だから努力家

好きなことや楽しみなことにも全力なので、本当にそんなに頑張りすぎて息切れする日が来ないかと心配だけど、私がこんな状態なのであまり母親の手伝いはできていない。

それが今私が一番気掛かり。

祖母のことまで書くとややこしくなるので省略するけど、正直私は今の祖母にはあまり会いたくないので本当に母親に任せっきり。

別に祖母のことが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。だから日々変わっていく祖母を見るのが結構つらい。自分のことで精一杯な私はそれを見てきっとショックを受けるんだろうなと思うし、今までそんなこともあった。

おばあちゃんのこと私もできるだけ頑張って支えるから、なんて去年や一昨年は言ってたけど今年は全然できてないなぁ。

ごめんね、お母さん。

 

私が精神科に通うようになってから11年、母親はどんな気持ちで私を見てきたのかと考えると胸が痛い。めちゃくちゃな生活してた時期も長かったし、自殺未遂も何度もしてるしそのたびに母親は泣いていた。私がしんどい、生きづらいというと一緒になって泣いてくれる。

 

今はもう、私が具合悪い時や話をしても「大変だね」とか「しんどいよね」とかはあまり言わない。それは私にしか分からないしんどさだから、と言う。だからお母さんは分かってあげれないけど、と言う。

この言葉の重みを私は今まで何度も感じてきた。

 

どれだけありがたい言葉か、私と似たような境遇の人なら分かるのでは、と思う。

分かってほしいわけじゃない、分かるはずないから。でもできることなら理解してほしいなと思う気持ちもやっぱりある。

昔は大変だから、しんどいと思うから、お母さんもできるだけ理解できるように頑張るから、とかよく言っていたけど最近はそういうことは聞かない。

わからないことはわからないとはっきり言ってくれる

これがどれだけ嬉しくてありがたいことか。私が他人から本当に聞きたい言葉はまさに母親のそういった言葉そのものだった。この10年以上色々あったけど母親は本当に努力して私のことを理解しようとしてくれて、それで今に至るんだろうなと。

https://www.instagram.com/p/Bbh07DdHidG/

祖母の介護のこと、私の病気のことできっと予想していたような年相応の過ごし方はできていないはず。

妹は社会人になってもう4年以上経ってるのかな?同じ家に住んではいるけど金銭面では自立しているし、大学を卒業した時点で「想定通り」なんだと思う。私も妹のようにそうなると思ってたはずだし、金銭的な面でももっと余裕があると想定していたと思う。

言ってしまえば無職だけど引きこもりではないので着飾りたいとか化粧品だとかそれなりに見た目にお金もかかる子供がずっといる状態のままなわけで、そこが本当に申し訳ないなと思うけど、母親は私に「綺麗に化粧して可愛い服着なさい」と言ってくれる。

妹のように自分のお金でやりくりできてておかしくない年齢、いや、私のように親に金銭的に頼っているほうが割合的には少ないと思う。

 

そんな私に、せめて見た目だけでも好きなようにすればいいと言ってくれる。

これもどれだけ嬉しいことか。

元々、高校生の頃からファッション関連もコスメも好きだった。病気をする前とそこは変わらず、美容院にもちゃんと行って綺麗にしておいで、と言ってくれる。そのお金は私が出しているわけではない。両親が働いたお金だ。

 

上辺だけ、見た目だけでも年相応に、他の人と同じようにしたいと思っている私のこと(ここはちょっと問題があるなと自分でも分かっている)を分かってくれているし、母親自身もネイルサロン行ってたりオシャレ好きなので自分がやりたいことと同じように私にもさせてくれる。これは子供の頃からほとんど変わっていないけど、それで気持ちが晴れやかになることも多い。

 

本当、この年齢になってもまだまだ手のかかる子供で申し訳なくなる。

 

なんでも自分でやりたがる、家事も仕事も介護も全部自分でやりたがってそれでしんどい、疲れたとぼやくのならどれかサボればいいのにと思うことも少なくない。

でも、そうやって頑張ることで本当に頑張れて自分を確立してるのかなと思うと、私がなりたくてもなれなかった人物像に限りなく近い。

私は母のように、粘り強く頑張って根性見せて努力してなんとかしたかったんだろうなぁということに、昨日父親のことをこのブログに書いた後に気が付いた。

 

好きなことに全力なところも私は好きだ。

素直に好きなものは好きだと突っ走る姿は見ていて気持ちいい。

もっと自由に、もっと好きなように東方神起とか他にもライヴ色々行って欲しいけど、祖母のことがあるのでそれはできなくて、私はとりあえず、今この具合悪い状態から抜け出せたら祖母の介護を手伝おうと思っている。少し休んで欲しい。

ゆっくりする時間を母親にあげたい。映画見に行ったり、本読んだりする時間を。ライヴ見に遠征してた頃のようにまたなれるようになって欲しいなぁと心から思っている。

 

だから、私は生きなければならない。

私が死にたいわけではないのはこの辺りの理由もあるのかもしれない。自分がもう少し回復して安定してきたら手伝えることがあると思うから、義務感でもいいからそういうものがあるから、だから昔のようにもう死んでしまいたいとは思わなくなった。

 

本当にこれは自分でも不思議に思ってるけど、今年こんなに具合悪いけど死にたいわけじゃない。死にたいとは思わない。

衝動的になって死のうとするのではと危機感を覚えるほどに、私は死にたくない。

ここが決定的に昔と違うところだと思う。だから、大丈夫だ。きっと。

 

母親に対しては、本当に何も気にせず東方神起のツアー行っておいで!っていつか言いたい。自分が昔、高校生の頃にライヴ見たくて遠征するのに許してくれた時のように言いたい。

 

時間はかかると思うけど、おかーさんみたいに努力できる人間になりたい。

鉄血のオルフェンズ

特に起きる理由もなかったんですが早起きしてしまったので色々と更新してます。

ということでお題。

 

・2017年一番良かった作品

 

めっちゃ難しいな!!!

というのも個人的に銀魂はずっと好きで未だにジャンプで毎週読んでるぐらいなんですが、推せるほど実写映画はうーん・・・というところだし、アニメも楽しみにして見てたのFate/stay nightの再放送だしなぁ。

映画も色々見たけどそこまで印象に残ってるのも特にないし、音楽なら選びやすいのになぁと思いながら色々と考えてみました。

 

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ

本当は1期のほうが好きだけどそういえば今年だった。春までだったけど。

アニメならやっぱオルフェンズかなぁ。

終わりのほうドタバタしててうーん・・・と思うところもあったけど主人公の三日月が一切ブレなかったのは本当に良かった。あれは強さであって無知ゆえだよなぁとか色々と思うこともあってかなり深い内容だったと思う。

紛争地域に生まれた人は三日月みたいな感覚で育つと聞いたけど本当ならものすごく悲しいことだけど、本人たちはその悲しさとか分からないんだよなぁ。

 

あとこの頃は元気だったので色々見る余裕があったっていうのもあると思う。今は映画とかアニメ見てもあんまり内容入ってこないから、早く元気になりたいなぁとやっぱり思うのでした。